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卒業式 式辞

3月1日、晴天に恵まれ、250名の卒業生を送り出しました。

私ごとですが、2月に亡くなった同じ高校教員だった父の書斎を整理していたところ、定年退職前最後の卒業式に読んだと思われる式辞の原稿メモを見つけました。今年の式辞は父の原稿から多くの部分を拝借し、本校生徒に伝えたいことを加えた合作としました。家族以上に仕事やこどもたちを愛した父への弔いを兼ねて・・・

少々長い拙文ですが、掲載します。

 弥生三月、うららかな陽光に、長く厳しかった北国の冬も、今漸く立ち去ろうとしています。
 仰ぎ見る石狩の峰々も今はまだ深い雪に包まれていますが、巣立ちゆく志の心を奮い立たせるかのような、春の息吹を確実に感じはじめています。
 今日、この佳き日に、ご来賓各位ならびに多数の父母の皆様のご臨席をいただき、本校第48回卒業証書授与式を挙行できますのは、卒業生は元より、在校生・教職員ともどもに喜びとするところであり、ご列席の皆様に厚くお礼申し上げます。
 ただ今、250名の諸君に、卒業証書を授与致しましたが、先ず何より、「おめでとう」の言葉を贈ります。
 それにつけても、小学校入学以来、本日高等学校の課業を終えるまで、皆さんが心置きなく学業にいそしむため、ご家族をはじめ、実に多くの方々から、陰になり陽向になっての支えがあったことに思いを致さなければなりません。特に、私は父母の皆様の今日に至るまでのご労苦に対し、心から労いと敬意の念を捧げたく存じます。
 卒業生の皆さん、卒業証書を手にした今、三年間の丘珠高校での学校生活を振り返り、様々な思いを抱いていることと思います。楽しかった思い出ばかりではなく、辛い出来事や多くの困難もあったことでしょう。しかし、仲間たちと手を携え、困難なこともひとつひとつ乗り越えてきた経験で、皆さんが身につけてきたものは、目には見えなくとも、これからの皆さんの人生に、この上のない力となっているはずです。辛く悔しい思いをする時間も決して無駄ではなく、大地に張る根を育てる時間と捉え、しっかりと前を向いて進んでいってください。
 世界に目を広げると、まさに今この瞬間にも戦禍にさらされる若者、飢餓や貧困に苦しむひとがたくさんいることにも思いをはせてください。視野を広く持ち、他者への想像力を豊かに働かせ、平和で生きやすい社会づくりに皆さんの力を生かしてください。
 ところで、皆さんが今日卒業を迎えるまでの道のりは、いわばあらかじめ危険な障害物を取り除いて、安全に敷かれたレールの上を、さほどの苦労をせずとも進んでこられたのではないでしょうか。多少それることがあっても、大目に見てもらえたり、元へ戻る手助けもありました。
 しかし、今日からは違います。自分の行く手のレールは自分で敷かなければなりません。どのように敷くかは、皆さんの自由です。それだけに、他の者に迷惑をかけないとか、脱線し失敗したとしても、自らの責任で、これを解決し、克服しなければなりません。
 もっとも、だからと言って、初めから苦労や困難を避けてばかりいるような生き方は、私が皆さんに期待するところではありません。
 これまで何度も皆さんに求め伝えてきた「できない理由を探すのではなくできる方法を考えること」を胸に刻み、失敗を怖れずまずは「やってみる」ことを実践する生き方、挑戦への志をこそ、期待したいと思います。
 さあ、いよいよ旅立ちの時が近づきました。今、万感の思いをこめて、一つの詩ををはなむけとして贈ります。東井義雄さんという方が詠んだ詩です。

 少々つらいことがあったからといって ヤケなんかおこすまい
 ヤケをおこして 自分で自分をだめにするなんて
 こんなバカげたことってないからな

 生きているというだけなら ミミズだって生きている
 でも人間なんだから もう少しシャンとした生き方がしたいな

 自分のために一生懸命生きているだけなら 
 毛虫だってゲジゲジだって自分のために一生懸命生きている
 もう少し 多くの人にも喜んでもらえることにも             

 一生懸命になろうじゃないか

 地球だって 自分といっしょに 公転もやっているんだからな
 すばらしい町づくり国づくりのためにも がんばろうじゃないか

 どうか、皆さんそれぞれが選ばれた道で、校歌の一節にある通り、「不屈の精神(こころ)育まん」ことを、心から願って、私の式辞と致します。

          令和7年3月1日
          北海道札幌丘珠高等学校長 能登 啓児